形成外科としての開業
医師になろうと思ったのは今から30年前。高校2年生のころ。沖縄尚学高校の周りの同級生に触発されたことと、当時の(故)名城政一郎先生の励ましがあったからです。
形成外科医になろうとおもったのは大学4年の時。浦添でご開業されている楠見先生の講義を聞いたからです。今でも明確に覚えています。衝撃的な症例の提示がありました。やけどで広い範囲はげてしまった方に風船(組織拡張器:ティッシュエキスパンダー)を皮下に入れて有毛部の皮膚を少しづつ膨らませてそれではげた傷あとを治すというものでした。当時は沖縄に形成外科医を育てる施設が無く、東京で修行しようと思って沖縄を出ました。今は琉球大学をはじめ、専門研修プログラムが二つもありますので県内で専門医が取れますが、一度は沖縄を出たほうが良いとも思っています。いろんなことが刺激的で勉強になりました。
いまでも形成外科学って何だろう、、、、と思うことがあります。とても広い分野です。先人には申し訳ありませんが、正直、[Plastic and Reconstructive Aesthetic Surgery]の日本語訳として「形成外科」はそぐわないと思います。一般の方も「形成外科」と聞いて何を扱う診療科なのか、完全に分かる人はほぼいないでしょう。医療関係でも身近にいない場合はわからないと思います。かといって良い日本語訳も思いつきません。
先天異常、外傷とその再建、全身熱傷、悪性含めた腫瘍とその再建、褥瘡や治りにくい足のキズ、、、、そして美容外科。
それらすべてを極めた形成外科医はいないと断言できます。そんな甘いものではないからです。学会に参加した時にもそれが良くわかります。同じセッションにはいつも同じ座長、同じ演者、同じ聴衆とわずかに新参者、、、質問する人はいつもその道の大御所で若い先生がなかなか発言できない、、、といった光景はよく目にします。
大学病院で一生懸命やっていた全身熱傷、手の外科、頭頚部再建、レーザー治療、眼瞼下垂症。これらを幹として地元に帰って総合病院で勤務し始めましたがやはり限界もありました。沖縄では圧倒的に糖尿病や血管の病気がもとになった足の潰瘍が多かったのです。そしてそれを管理できる医師・施設もほぼ無いと言っても過言ではなかったと思います。でも今までと違い、教えてくれる人は同じ職場にはいません。自分が診療科長だったからです。
大学にいた時は自分が発表することに精いっぱいでしたが、沖縄に戻ってからはより真剣に学会参加し他の先生とも意見交換をして勉強するようになりました。美容外科についても大学ではわずかな経験でしかありませんでしたが、いくつかの美容クリニックで非常勤として働きながら勉強させていただきました。
形成外科医として一人前だ、、、と思うのは、さまざまなからだの組織を扱うことに慣れているので、「手術を数回(場合によっては1回)みたら、すぐにまねできる」ことだと思います。まだその領域に達しているかわかりませんが、形成外科専門医に求められる能力はそれかなと思っています。
(まだ何となくですが)足病学と美容外科学についてわかってきた気はしておりますが、その道のプロからすると、まだまだ片足突っ込んだ程度かなと思ってしまいます。
しかしいまではこの二つを診療する機会が多くなっている現状にもびっくりしています。
自分は決して名医ではありませんが、努力だけは負けないでおこうという医師としての姿勢は持っているつもりです。
あと10年たっても極めている自信がありませんし、ついてきてくれる人がどれだけいるかもわかりませんが、自分がこれまで作ってきた医師像は失わず、日々努力して頑張っていこうと思います。