ゆいまーる、と口にするたびに
沖縄県知事が変わりました。
前の県知事がどうだったとかではなく、定期的に新しい人に変わることは良いことだと単純に思います。大学病院の教授職も長いとマンネリして新しいことが無くなっているように感じます。冒頭から話が脱線してしまいました。すいません。
「ゆいまーる」という言葉が、私はずっと好きでした。
助け合い、支え合い、お互いさま。沖縄の心を語るとき、必ずと言っていいほど出てくる言葉です。観光のパンフレットにも、あいさつのスピーチにも、この言葉はよく登場します。
でも、最近ふと立ち止まって考えることがあります。 ゆいまーるって、今の私たちの暮らしの中に、どれだけ残っているのだろう、と。
先日、車を運転していて、こんな場面がありました。 細い道で電柱も道路に飛び出ていて対向車とすれ違えず、どちらかが譲らなければ進めない。少し前なら、当たり前のように手を挙げて譲り合っていた気がします。けれどその日は、しばらくにらみ合いのような時間が流れました。
正直に言えば、私自身も少し急いでいて、「先に行ってくれないかな」と思ってしまった。人のことを言えた立場ではありません。
そのとき気づいたのです。 「ゆいまーるが薄れてきた」と嘆くとき、その「誰か」の中には、きっと自分も入っているのだと。
私はよく「サンエー」に買い物に行きますが、そこは沖縄県民の現状が凝縮されているといつも感じます。とにかくほぼ譲りません。正面からカートで対峙しても相手はびくともしませんので自分が100%よけて譲ってます。相手は前を見もしません。特に飲み物の陳列コーナーは段ボールもあって通路が狭いのですが、カートでふさいで通れなくなっていることもしばしば。
助け合いの心は、口で語るだけでは残っていきません。 「困っている人がいたら助けよう」と言うのは簡単です。けれど、実際に足を止めるとき、車を一台分譲るとき、その一瞬の面倒くささを引き受けられるかどうか。そこにしか、ゆいまーるは宿らないのだと思います。
時代が変わり、暮らしが忙しくなり、人との距離が変わっていくのは、沖縄に限った話ではないのかもしれません。それでも、この言葉を大切にしてきた土地だからこそ、言葉だけが美しく残って、中身がすり減っていくのは寂しい。そう感じます。
だからこそ、大きなことは言えないけれど、まず自分から。
すれ違う車に、一台譲ること。 重そうな荷物を持つ人に、一声かけること。サンエーでは駐車の時点からお先にどうぞ、、、と譲ること(笑))
その小さな一歩を、明日の自分にお願いしたいと思います。
ゆいまーる。 語る言葉ではなく、返す仕草として。 もう一度、自分の暮らしの中に置き直してみたいのです。
貴クリニック 院長 東盛貴光
形成外科専門医・指導医
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